一ヶ月Twitter断ちしたら、ぼろぼろの集中力が回復した話

気がつけば、Twitterをみている。休憩中はもちろん、読書中も、楽しみにしていたドラマの視聴中も。朝起きてすぐから、夜中目が覚めたときまで。お風呂でもベッドでも。ハッとすると30分から2時間が吹き飛ばされている。

のんびりした気持ちでTLを眺めてるときもあるけれど、トレンドやニュースにぶら下がる尖った言葉を目にして、自分のことではないのにうっすら傷ついてしまうこともある。気持ちは常になんだかザワザワ。

この記事は、心がそわそわして趣味にも仕事にも全く集中できなくなっていた私が、一ヶ月のTwitter断ちで、なんとか集中力を回復するまでの話です。

Twitterを休もうと思ったきっかけ

Twitter、中毒かも?

私は一日のつぶやきが多くて5つ程度。飼い猫の様子や、映画の感想などたわいないことばかり。ほどほどの距離感の付き合いが出来ていると、自分では思っていました。

しかしある日自分のスクリーンタイムを見ると、Twitterに12時間も費やしている日があり、気絶しそうになりました。休みの日だったとはいえ、半日も!?

「今日はとことん、Twitterするぞ!」と能動的に楽しんでいるならまだしも、他にするべきことがあるのに、ボーッと全自動で見てしまっている状態だったので、自分のスマホの使い方に危機感を持ちました。

Twitter断ちする前の心の状態

一人で部屋の中にいても、心の中は雑踏の中に居るようなザワザワ感がある

本を数ページ読んだら、なぜかTwitterを見ている

動画を10分視聴したら、Twitterで他人の感想を検索している

朝目覚めてすぐに、Twitterを立ち上げて1時間以上布団でぼんやり眺めている

作業をしているとき、ついついTwitterを立ち上げて、進まない

ウワー!!!完全に中毒!!!

全体的に衝動性が強くなっていて、シングルタスクに集中することが極度に下手くそになっていました。特に苦手になったことは、読書。あんなに好きだった趣味に集中できなくなったことは悲しく寂しいことでした。

Twitterを一ヶ月、休むことにしました。

これはだめだ。何もできない。人生が吸い込まれてしまう。

「ついついTwitterを見てしまう」程度だったら、時間の使い方を少し気をつけるだけで済む話だと思うのですが、私の場合、生活のあらゆる隙間に習慣としてがっちり食い込んでしまい、ありとあらゆる作業に支障が出ていました。

一度、習慣をリセットして見直す必要があると感じて、ひとまずおやすみを取ることにしました。

このつぶやきでは、まるでこれからゆったり読書を楽しむためにTwitterを休むかのように書いていますが、ほんとうは、べったり染みついた「ついついTwitter見ちゃう」習慣を、自分から剥がすためのTwitter断ちでした。

フォロワーさんが「いってらっしゃい」とリプライで暖かくかけてくれる言葉に目をほそめながら、スマホからもPCからもTwitterのアプリを消しました。青い鳥のはじっこの☓ボタンを押すとき、狂おしいほど寂しい気持ちになったけど、やると決めました。

Twitterを休んでからの心境と行動の経過

休んで1日目の心の状態。

もっと、そわそわしたり寂しくなって、無理やりブラウザで検索して見てしまったり、禁断症状がでるかと思ったのです。

だけどひとたび起きたら、なんだかすっきり。一日のうち、一度もTwitterを見なかったのっていつぶりだろう。心がしーんとしています。やるべきことにすぐとりかかれる感じが気持ちいい。

アプリを利用して、シングルタスクを心がける。

今までの私はTwitterをみながら、家事をして、Twitterをみながら昼ごはんを食べていました。仕事中はさすがに見ないものの、オフの時間はずっと立ち上げっぱなし。

まずは、ひとつひとつのことに集中しよう。と思いました。

その助けになったのが、Forestというアプリ。

Forest - 集中力を高める

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こちらは、スマホの使いすぎを防止してくれるアプリです。立ち上げて、スマホに触りたくない任意の時間を入力すると、木の育成がはじまります。

木の育成中。他のアプリを立ち上げると、木が枯れてしまうので、その時間はスマホに触ることなく作業できます。

 

無事にスマホに触らずに時間が経過すると、マイフォレストに木が生えます。

 

いろいろな可愛らしいデザインの木があります。(溜まった時間が通貨になって、木の種類を増やすことが出来ます。)

いちばんの目移り先のTwitterを休んでいても、気がつけばソシャゲを立ち上げたり、しいたけ占いをみたり、私はすぐによそ見する先を探してしまうので、こうやってひとつひとつのことにじっくり集中する癖を付けました。

こんなことは当たり前のことだけれど、ある日カフェに行って一度もスマホを取り出さずに、外にちらつく雪を眺めながら、食事を終えることができたときには、泣きたいほどの喜びを感じました。

休んで一週間目の心の状態

自由になる時間がぽっかり2時間あるとき、思い浮かべたやりたいことが、そこそこできる状態になりました。

映画やドラマを観た後は、思わず誰かの感想を見たい気持ちになったけど、ぐっとこらえました。(そもそも、Twitterのアプリがスマホに無いので検索もできない。)

この時期に読んだ「旅の断片」という本の中に「コルテス海にて」というすばらしい随筆があり、これに感銘を受けました。(以下引用)

サボテンのように孤高に生きて、そしてつまるところ死ぬのだ。何事かを残そう、なそうとしたところで、なににもならないのだ。しかしだからといって、なにもしなくてもいいということではない。なにもしなくても自分の気が済むわけでもない。生きているかぎり何事かをし続けなければならないし、生まれた以上は自分がよいと思う何事かをし続けるべきだが、それがなにかになると思わないことだ。

Twitterをやすむと決めたとき、ぼんやりと世界から置いてきぼりになるような、焦りのようなものを感じたけれど、全く傲慢なばかばかしい考えでした。

Twitterをやすんだところで、わたしを待っている人なんて居ない。そう思うことは悲しい気持ちではなく、なんだか優しく晴れ晴れとした心地でした。自分が関わらないところで、皆それぞれの生活をしていくことを愛おしく感じ、いつやめても、いつ再開してもいいと思うことは肩の荷が軽くなるような、すがすがしい気持ちでした。

装丁のうつくしさに本屋でひとめぼれして購入したのですが、中身もスッと背筋の伸びたすてきな随筆が詰まっています。出かけるときにカバンにいれておいて、ちょっとしたときにひとつずつエッセイを読む時間が幸せです。

休んで4週間目の心の状態。

気がつけば、なぜか鬼滅の刃にすっぽりとはまっていました。(詳しくはこちらをご覧ください)それを皮切りに、5分アニメの視聴すらあやしかった映像鑑賞の集中力も、3時間半のマフィア映画とおつきあい出来るくらいまで回復しました。

大人買いしたコミックを集中して読んでるうちに、分厚い本が読めるようになりました。軽いエッセイだけじゃなく、歯応えのある古典も。毎日、眠る前にベッドサイドにお茶を携えて、それを飲み切るまでの間、のんびりと読書にふけるのが日々の習慣になりました。嬉しい。これは悲願でした。

10年ほど、何度も読んでは挫折しているカラマーゾフの兄弟の完読を目指して、メモをとりながら読み進めています。

逆にぜんぜん変わらなかったのは、朝なかなか起きられないこと。布団のなかでTwitterを見ないものの、そのぶん布団の中でたっぷりと丸くなって眠る猫をみつめていました。

これからのTwitterとの付き合い方

青い鳥に頭をかじられないように

いろいろな人の営みや生活の様子、ぴりっと異を唱える背筋の伸びた意見。丁寧に磨きこまれた言葉や、かわいい毛の生き物たち。そういうものが流れていくTwitter文化が私はとても好きです。また、作品を発表する貴重な場所でもあります。

けれど正直、見たくないものが目に入ったり、うっかりバズれば、見も知らぬ人から石ころみたいな言葉が投げ込まれることもありました。心のザワザワに消耗したり、やりたいことに上手く取り掛かることができない状態にあるなら、いつだって休んでいい。常に情報の全部を読もうとしなくていいんだと思いました。

自分の状態をよく点検しながら、必要以上にそわそわしていたら、スマホを物理的に遠ざけたりして、ちょうどいいバランスで楽しんでいきたいと思います。少なくとも一ヶ月休めばいつでも状態をリセットできることが分かったことは大きな成果でした。

さいごに

新型ウイルスでざわざわしてる今日このごろ、不安を煽るような情報に疲れてぐったりしてしまうこともあると思います。私のように集中力が散漫になりすぎてしまった方にはすこしだけ、SNSからのバカンスをおすすめします。週末だけでも、SNS断ちをして何かのんびり好きなものだけに触れる日を作ると、びっくりするほど頭も心もスッキリします。