【エッセイ】だめだめな日の、自分の機嫌のあやしかた。

もう0時をまわるのに、部屋がちっとも片付いていない。洗濯物がソファの上にばっさり。お米もといでなければ、猫のトイレも片付けなくちゃ。ふと手帳を見ると今日のタスクが半分もできてなくて、へたりこんでしまうこと、私にはたびたびあります。

家にねこがいることで、気持ちの荒ぶりは、だいぶやすらかにしてもらっているものの、それでもだめだめな日はめぐって来るものです。

今日はもう何もできない。やる気がしない。もしくは、やだやだのやだって子供みたいに床に転がってみたいくらい、心がぐったりしてしまったとき、私はひとまず、全てをよこに置いてねこの毛の音を聞いています。

じぶんの耳を、丸まったねこの背中の毛にうずもらせて、かすかに聞こえる音にじっと耳をすませると、ころころ、くるくる、喉を鳴らす音が小さく聞こえます。

ふわふわの毛でくぐもった、この音はなんとも優しく、まるで毛の奏でる秘密の音色のようなのです。

猫が目をつぶって丸くなるのに合わせるように、自分も完全に目を閉じて、体を丸めてしばし入れ子のドーナツのような形で、じっとしていると、トゲトゲのいがぐりのようだった気持ちが、ゆっくりと大人しくなっていきます。

あるか無しかのかすかな音を聞いていると、意識はふわふわの毛と、ねこと自分の呼吸音だけになる。針のような感情も手のひらの中で、おにぎりのように丸まっていく。ゆっくり呼吸するたびに、日なたの全部をかき集めたみたいな、ねこのやさしい匂いがします。

クポー。クポー。という平和な猫の寝息が、妙に大きく聞こえて笑ってしまいそう。

うすく目をあけたねこと目が合えば、ゆっくりとまばたきをしてくれて、にっこりしてもらったような喜びになんども頭をなでてしまう。

飽きた猫がわたしを振り払って、あくびをしながら前後に伸びる頃には、心の波立ちがだいぶ平らになっていることに気が付きます。

気の立ってるやるせない夕方も、ほとほと疲れた孤独な夜も、毛の音を聞くと、まるで煮込まれた野菜のポタージュになった気分にくるまれます。

ソファには、どっさりの洗濯物がたたまれるのを待っていたり、流しにはどーんと洗い物が鎮座していたりするのですが、今日はぜんぶ知らないの日にして、明日にまかせて眠ってしまおう。

いつだって、だめな日はめぐってきます。どれだけ大人になっても、上手くいかない日にぶちあたることは、どうしたってあります。そのたびに、なんとかやりすごす術を見つけて、自分の機嫌をヨシヨシと飼いならしていきたいです。

ねこの毛の音を聞かせてもらうことは、自分の「機嫌とりとり術」の中でも、とくべつに効果ばつぐんのものです。

ねこが家にいなかったころは、ぬいぐるみの毛に耳をすませていました。と、書くとエキセントリックに思うかもしれませんが「ふわふわに耳をあてて、ゆっくり呼吸する」ことは、びっくりするほど気持ちがほどけていくので、だめなときのお守りとして試してもらえたらうれしいです。

誰にみられるわけでもないので、存分にうっとり聞き入って、心をやすらかに毛の持ち主に感謝をこめてよくなでて、明日もなんとか少しの腕まくりで生きていけますように。